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Page: 11 人類は衰退しました 1




「この仕事はやろうと思えばいろいろと動けないこともないが、原則としては単なる書類の管理人でしかないのだ」

「それでは調停のおしごとはどうするんです……?」

「?彼ら?のことは?彼ら?のことなのだ。こちらでしなければならないことなど、実際はほとんどない。この部署ができた頃ころはまだいろいろと問題もあったらしいが、今では調ちよう停てい官かんなどお飾りみたいなものだ」

「はあ」

 炭酸の抜けたソーダのような言葉を、わたしはぼんやりと受け止めます。

「良かったな。おまえの好きな楽な仕事で」

「なんだか誤解があるようですが、わたしは自らの体力を考こう慮りよして、適切なジョブをチョイスしたいだけなのです。農作業は力仕事もあったり日射にさらされたり虫が苦手だったりしていろいろとイヤなので避さけたいだけです」

「どう聞いてもぐうたら者の言葉だ。まあ、確かに農作業が退屈なのは同感だ」

「そうでしょうそうでしょう?」

 祖父は道楽の人ですから。

「食料はハントするに限る」

 狩しゆ猟りよう採集民族でもあります。

「わたしはただの消費者が良いです……」

「お前のような者が文明を食いつぶした」

 非難されました。

「他ほかに食べる術すべがなかったら、さすがにわたしでも種くらい蒔まきますよ。でもこういう有あり難がたい仕事がまだ残っているわけですから」

「その通りではあるが……ふむ」祖父は不ぶ精しようヒゲをしわしわと楽しげに撫なでます。「前言撤てつ回かいだ。やはり少し苦労した方が良かろう若者よ。新任の挨拶に行きなさい。所長命令」

「そうですね、挨あい拶さつは必要なことでしょうから」

 第三者がいることも判明した今となっては、事務所はそれなりに緊きん迫ぱく感かんある場所です。多少のフィールドワークも辞じさないモチベーションになっていました。

「それで、?彼ら?の里はどのあたりにあるんでしょう?」

「ああ、そこだ」

 壁にこのあたりの地図が張り付けられていました。

 近寄って、細かく地形を指でなぞります。里の位置が赤枠で囲われていて、危険地帯が明示されていて、そして三角帽子マークのシールが一箇所にだけ貼はられています。

「あれ、これって……?」

「そこが?彼ら?の里ということになっているが」

 よく確認します。

「これ、場所が間違っていませんか? 里に戻る途中、街道沿いでひとり目もく撃げきしましたけど……このシールとは、ずいぶん違う位置だったような」

 そう言うと、祖父はうーんと唸うなります。

「どう説明していいのかわからんな。とりあえず、行ってみたらどうだ? ここからだと三十分くらいだ。少し坂が続くからいい運動になる」

「わかりました、行ってみます」

「ほれ、弁当」

 祖父のおやつでしょうか。白衣のポケットからじかに取り出した、いくつかの丸パンを渡されます。せめて包んで欲しかった。

「持っていく書類とかは……挨拶に必要な、その調印書とか?」

「いらんだろう、そんなもの。調印書って、何する気だ? ちょっと行ってみて、もし会えたら挨拶のひとつもしてくればいい」

「もし会えたら?」

「個体数はそれなりにいるはずだからな。うまくすれば接触できるはずだ」

「なんだかわかりませんけど、チャレンジしてみます」

「ほれ、水」

 瓶びんに入った飲み水を渡されます。

「挨拶の礼儀とか、注意しないといけないこととかはないんでしょうか?」

「ないぞ。センスで乗り切れ」

「……すでにこの段階で、在学中に下調べした業務内容とだいぶ異なってます」

「おまえのあたった資料は察するところ発ほつ足そく当時の状況下で作られた対応マニュアルの類たぐいだな。当時は難しい時期もあったからデリケートな判断が求められたが、今となってはすべてが過去の遺物だ。まあ行ってみろ。何事もEXP(経験値)だ」

「なんですかその胡う乱ろんな単語は……」





 小高い丘へ続く勾こう配ばいを歩いていって辿たどり着いたのが、三角帽子マークで示された?彼ら?の里。

 里になる前、そのもっと昔には、資源回収業者が集積地として用いていた土地だったりします。

 その回収資源……つまり粗大ゴミは、業者がいなくなった後もここに置き去りにされたままになっています。独特の偉容を誇る超巨大オブジェとなって。

「……高い」

 扉のない冷蔵庫・真ん中あたりで見事にかち割れた洗濯機・破れたスピーカー・ツマミがあらいざらい引っこ抜かれたアンプ・爆はぜたタイヤ・弦げんの切れたギター・電子レンジのぎとぎと油和あえ・きっちり折り畳たたまれた折り畳み式じゃない自転車……。

 そんなものが、わたしの数倍ほどの高さまで積み上げられております。

 今となっては再利用する術すべもないものばかりですし、錆さびや劣化や技術の衰退で資源としての再利用もできないため、長らく放置されているのです。

 そのゴミ山を囲むフェンスはまだ倒れずに残っており、敷しき地ち内ないへの扉はチェーンで固定されていました。

 先に進むには扉を開かねばなりませんが、当然鍵かぎなどは所持しておりません。

 当然、わたしは鉄てつ鎖さを引きちぎるような超常的な力とは無縁のうら若き乙おと女めですから、今日はこのまま引き返すしかないのですが……、

「えい」

 引っ張ったらわりと簡単に引きちぎれました。

 念のために補足しておきますが、鎖くさりが錆さびていたのです。

 ということで、フィールドワーク続行です。

 どうせ管理者もおりませんから、無断で施設に入ったり破は壊かいしたりすることには、問題はないのです。完全に打ち捨てられた場所です。

 まず気になるゴミ山に、少しだけ接近してみます。

 崩れる危険性があるので近くには行きません。巻きこまれたらまず助からないでしょう。しかしそれでも?彼ら?が好むのは、こういう場所なのです。何かしら童心を刺激するものがあるのかもしれません。いたずら好きな男の子がいかにも好みそうなスポット。

 あてもなく周辺を歩き回ってみます。

 管理ビルがあった場所を見つけました。年月と雨風によるものか、すでに建物は土台だけとなっている状態です。

「もしもーし?」

 あたりをつけて声をかけてみますが、反応はありません。

 三角帽子によって示されていた場所で間違いないはずなのですが、?彼ら?が隠れている気配さえ感じられません。

 もしかすると平べったい石の下に潜ひそんでいるかもしれません。持ち上げて確かめてみても、球形に変形したりハサミを装備していたりする虫たちがいるだけです。

「……失敬」

 そっと石を元に戻します。

 その後、大回りにぐるりとゴミ山を一周してみましたが、新たな発見はなし。

「誰だれかいませんかー?」

 反応もなし。どうやら完全に無人のようです。新任の挨あい拶さつに来たものの、調停対象がいないのですから、どうしようもありません。

 今のわたしにできること、それは。

「……いただきます」

 おもむろにポケットから取り出した丸パンをくわえることだけでした。





 事務所に戻り、窓辺の席から遠方の民家を銃で狙ねらう遊びに興じていた祖父に報告を行います。

「無人のゴミ山があったので、そこでパンを食べて水を飲んできました」

「うまかったかね?」

「いたって普通にパンと水の味でした」

「まあそうだろうな」

「まったく何の経験にもなりませんでしたよ」

「のんびり散歩を楽しんだと思えばいい」

「おじいさん、あそこが無人だということをご存じでしたね?」

「ああ。あのゴミ山には何もない」

 ため息をつきます。

「徒労もいいところでした」

「根性のない孫に運動をさせてやろうという祖父の計らいがわからんのか」

「運動は嫌いです」

 祖父が片手で目を覆おおいます。呆あきれているようです。これは一発くるかなと思いきや、

「……もういい」

 あっさりスルー。

 内心拍子抜けしながら、わたしの出した結論を確認してみます。

「要するに、あの三角帽子シールが貼はってあった場所には何もない、ただの?うそだと?」

「というわけでもない。?彼ら?は人の息い吹ぶきが残る場所を好む。潜せん在ざい的てきにはこの土地には相当数の?彼ら?が暮らしているはずだ」

 むむむと唸うなります。

「おじいさん、調ちよう停てい官かんの仕事には?彼ら?の状況を把は握あくして記録するという項目があるんですが……」

「うむ、あるな」

「一箇所に集まってくれないのでは、把握も記録もありませんよ?」

「そこは皆、苦労してきたところだろうな」とコーヒーを啜すする祖父。「私もいろいろと工夫を強しいられた」

「なら、そのノウハウを教えてください」

「無理だな」

「……職場いじめですか?」

?彼ら?は生来、隠いん遁とんに長じた存在です。

 ですから単独で暮らしている野生化した?彼ら?を、風向きを読むことも気配を殺すこともできない人間が観察するのはとても難しいのです。

「自分で創意工夫を重ねなければ、いつになっても仕事は引き継げんだろう? おまえにやる気があるのなら、いい訓練だと思うが」

「やる気はぼちぼちありますけど、先人の知恵があるのなら利用したいんですが」

「それを考えるのも仕事だ」

 ……なんだかちょっと腹が立ってきました。意地でも何か聞き出したい。

「しかしながらわたしは新人なわけですし、おじいさんが手本を示してください」

「いや、私には私でやることがある。助手もそのために雇ったのだ」

「上司が仕事多いのは当然でしょう。この分野ではわたしはまだ未熟者なんですから、技術と経験を効率良く吸収して、さっさと知の高速道路に乗って一人前になりたいですし、さっさと知の高速道路に乗って一人前になりたいんです」

「二度言っている……同じことを……」

 祖父は少し狼狽うろたえていました。ちょっぴり勝った気分。

「無む駄だが嫌いと言いますか」

「わかった、おまえの意見はもう。疲れる……」

 さすがに年の功なのか、祖父はすぐに立ち直ります。

「簡単に言えば教えるようなことは何もない。私はこの仕事を最初からやっていたわけではないんでな。おまえが欲しがるようなノウハウなどはほとんどないし、目立った活動にも関かかわっていないんだ」

「天あま下くだりましたか」

「……そうだ」

 悪びれもせずに認めてしまいます。

「天下りといっても、私の場合、研究所が閉へい鎖さされた結果だ。どうせこの土地に留とどまるのなら、肩書き上だけでも調ちよう停てい官かんを引き受けてくれと言われて、それでだ。調停活動における目立った功績などもない」

「肩書きだけ……」

「そう肩かた肘ひじ張る必要もない仕事だ。これからのおまえに言うべきことではないんだろうが……?彼ら?に我々からの指導など必要ないと私は思ってる」

「でも、いざという時に……」

「何をもっていざとするかだな。こちらから干渉しなければ、?彼ら?は滅めつ多たに姿を見せない。接触がなければ摩ま擦さつもない。とんちか哲学のようだが、何もしないことが最善の調停活動ということになりはしないかと」

「それって、調停官という仕事の存在意義が……」

「見当たらんのだよなあ」

「うう……」

 椅い子すに座ったまま後方に卒倒してしまいたいくらいの衝しよう撃げき。

 それは確かに楽で知的な仕事を望んではおりました。しかし無意味な仕事がしたかったのかと問われれば答えはまったくもってNOであり、要するにわたしは効率良く人生の充実が欲しかったのです。

「調停官は要職だと思っていたのに……」

「百年とか二百年前だったらそうだろうな」

「ぐ……」

「だいたい通貨制度が崩ほう壊かいし現物支給となっているご時じ世せいに、要職も何もなかろう。こんなものはあれだ、お手伝い感覚というか、歴史的に重要だったセクションだから希望者がいるなら名ばかりでも職員を置こうという、そんな惰だ性せいによるもので……ほれ、おまえの初任給、配給札がもう私の手元には届いてるぞ」

 薄うすい封筒をぺらりと卓上に放り出します。

「げ、月末なのでは?」

「月末だと配給場所であるはずのキャラバンが戻ってしまうだろう。先渡しだ」

「な、なんかありがたみがないですよね……?」

「最初からない、そんなもの」

 心にダメージを受けて、わたしは言葉を失いました。そんな傷心の孫に対する祖父の夢も希望もない言葉が、さらなる精神的虐ぎやく待たいとなって襲おそいかかります。

「調ちよう停てい官かんとしての仕事はだから、全部おまえに引き渡すぞ。やり方はわからんが、まあ適当にやれ。あれだ。勤労意欲があるなら、たまに報告書とか提出するといいんじゃないのか?」

 事実上の引退宣言を含む、無責任な発言の合わせ技に思えました。

「ちょっとおじいさん、さすがにそれはないでしょう。上司なんですからせめて……って、話の最中に銃をいじるのやめてくれませんか?」

「来週は待ちに待った狩りだ」

 磨みがき上げられたライフルの筒先を窓の外に突きだし、スコープをのぞきこみます。

「……天あま下くだりの弊へい害がいが……」

「これが楽しみで生きているんだ。老人のほの暗い楽しみにケチをつけるような無ぶ粋すいはやめてほしいもんだな」

「ほの暗いって自分で言いますか」

 祖父の決意は固いようです。

「あの……でしたら一刻も早く引き継げるよう、コツくらいは伝授してほしいんですけど」

「と言ってもだな。私はごくわずかな期間しか真面目まじめには活動していなかったので……ふむぅ、そうだな……いや、待て」

 立ち上がり、事務所に置いてあるキャビネットのひとつに腕を突っこむと、片っ端ぱしからファイルを確かめていきます。

 騒そう々ぞうしく書類をあさり、一冊の分厚いファイルをついに見つけ出しました。

「あったぞ、このあたりから見ていけ。先任者の記録だ。私の前任者だった人のものだが。ちょうど三十年くらい前のものか?」

「まあ、そんなヒントブックが?」

「ヒントになるといいがな」

 受け取り、ぱらぱらと中身に目を通します。

 報告書にまとめる前段階と思われる、日報形式の記録でした。

 そこに記されていたのは、?彼ら?と良好な関係を築かんとする若き調停官の奮ふん闘とうの記録にほかならないに違いないのです(願望まじり)。

 必要に応じてイラストをまじえ、?彼ら?との日々が綴つづられています。

「これは参考になりそうですねぇ……ちなみにその方は?」

「なんか、死んだ」

 万物は生しよう滅めつ流る転てんしていきます。

「なんだったかな……影の薄うすい人だったからな。死因が確か……思い出せん」

 しばらく悩んでいたようでしたが、やがて「ちょっと出かけてくる」と言い残し、白衣のまま外に行ってしまいます。

 ひとりになったわたしは、とりあえず手元のファイルに目を落としました。





○月×日

 今日から私も調ちよう停てい官かんだ。

 いまや形けい骸がい化かしたこの役職だが、若い力でできることはまだあるはず。

 頑張りたい。

 里への挨あい拶さつもすませた。

 それなりに苦労はしたが、前任者からコツを聞いていたおかげでうまくやれたと思う。

 良い関係を築いていけたら良いのだが。





○月×日

 何日か通い詰め、だいぶ受け入れてもらえたようだ。

 早くも彼らの技術を目にする機会を得られた。

 うわさには聞いていたが、これほどとは……。

 この職務がいかに大切なものか、よく理解できる。なぜ組織がここまで縮小されているのか理解できない。

 カメラでもあれば良かったのだが……。

 かわりにスケッチを残しておく。

(該当箇所欠落)





○月×日

 今日は宴うたげを設もうけてもらった。

 素晴らしい歓待。

 極上のごちそう。

 酒に肉、そして魚。山海の珍味。木の実を使った多彩な料理。

 実に満ち足りた時を過ごすことができた。





○月×日

 今日もすごい歓迎を受けた。

 ごちそうには何を材料としているのかわからないものも多い。

 そもそも、魚はともかく肉をどうやって調達しているのだろう?

 彼らが狩しゆ猟りようをしているという話は聞いたことがない。

 要調査項目としたい。





○月×日

 顔を見せるたびに熱烈な歓迎を受ける。

 これでは調査が進まない、というのは嬉うれしい悲鳴だろうか。

 内政干渉は避さけるべきだが、しかるべき資料は残したい。





○月×日

 調査はかどらず。

 変わらず。今日もごちそうだ。





○月×日

 ああ、素材不明のごちそうが今日も。

 どれも我々の食文化を再現した料理ばかりだ。

 ビフテキというものをはじめて食した。

 今では滅めつ多たに口にできるものではない。

 肉の果実とも言うべき、忘れられぬ味。





○月×日

 今日は特に豪勢だった!

 次から次へと珍味が出てきた。

 ?おぼれるような料理だ。

 確か中国の古い宮廷料理だったはず。

 調査も進めたいが……なに、時間だけはたっぷりある。焦あせることはない。





○月×日

 愛されている自分を感じる。

 彼らが出してくれるスペシャルコースに舌した鼓つづみを打つばかり。

 それ以外に何が必要だというのだろう?

 かつて世界には豊潤な味があふれていたのだと実感する。

 酒も種々様々なものが出される。毎日が利きき酒だ。





○月×日

 本日は寿司すし。

 これも数えるほどしか口にしたことはないが、実に旨うまい。

 そしてカニ汁は最強だ。





○月×日

 今日はトルコ料理だ。

 豆とナスは苦手だったが、こんなにも旨いものだったとは。

 揚げ物をつまみながら飲む、ラクという乳白色の地酒がこれまた。





○月×日

 パンがなければケーキを食べればいいのだ。





○月×日

 今日もビフテキに継ぐビフテキ。

 酒に継ぐ酒。

 ビフテキ、酒、ビフテキ、酒、ビフテキ、酒……





○月×日

 ビフ……酒……





 無言でファイルを閉じます。

 いい塩あん梅ばいに窓が全開なので、そこから大空に向かってぽーんと投げ捨ててやれば、さぞや心地良いことでしょうね。

 貴重な資料? これが?

 これは立派に醜しゆう聞ぶんの範はん疇ちゆうです。

「どうだったね?」

 祖父が戻ってきました。

「ビフ酒でした」

「そうだ。いいぞ。その認識であってる」

 あってるというか。

 最後の方など、単なる「突とつ撃げきわたしの晩ご飯」でしかない。

「……正直、まったく参考にはならないと思います、これは」

「仕事はこのくらいでいいのだという意味で、参考にはなったはずだ」

「あの、気になったんですが前任者の方の死因って……?」

「思い出した。肝かん硬こう変へんだった」

 そうですか。やっぱりですか。

「贅ぜい沢たくな死に方をしましたね、こんな時代に」

「おかげで暴飲暴食には注意する気持ちになれたろう」

「わたしはもともと小食ですから」

 頭を抱えたくなります。

「で、ファイルはこれしかないんですか?」

「まあその引き出しにあるものを一通り当たってみたらどうだ? 中には使えるものがあるかもしれん……」

「ああ、この膨ぼう大だいな……これを……」

 キャビネットは業務用の大型で、それが壁の一面をほぼ埋うめ尽くしています。全部に資料が詰まっているのだとしたら、読破するのにどれだけの時間がかかることやら。

 ここでふと考えこんでしまいました。

 真面目まじめに職務を果たそうとすれば無む尽じん蔵ぞうに苦労だけが増し、のらりくらりとサボっていればどこまでも楽になる……という構図が浮かんできます。楽をしたい。それは事実。しかし何もしたくないわけではないのです。

 自分の中にある、仕事もしたい楽もしたいという矛盾した欲求を感じます。

「……ちなみに、おじいさんのファイルはないのでしょうか?」

「ない。つけてないからな」

 だとは思ったんですが……。

「本当に、文字通り、何もしていない……?」

「あくまで形だけの責任者でな」

「ろくなアドバイスをいただけない理由がわかりました」

「失敬な……だが知恵はあるぞ。そうだな……おまえは、調ちよう停てい官かんの主な業務であるところの、?彼ら?と折せつ衝しようをしたり記録したりするための下地が欲しいわけだな? そのために?彼ら?には一箇所に集まっていて欲しいと」

「まー、そうです」

 不本意そうな顔から一転、祖父は思考にふける真しん摯しな様子を見せました。やがて面おもてを上げてこう言います。

「甘味はどうだ?」

「甘味? 砂糖とかですか?」

「いや、甘いものだ。いろいろあるだろう。菓子の類たぐいが。連中はそういうものが好きだからな」

「お菓子で釣るわけですか」

「そうだ……これは古い手なんだが、容器を土に埋うめて、そこに蜂はち蜜みつを注いで一晩待つという作戦があって、効果は絶大だったそうだ」

「カブトムシを採とるのではないのですが……」

「甘い蜜に寄ってくるところは同じだ。?彼ら?は本能には逆らわん」

「言いたいことはいろいろあるんですが横に置くとして……何よりその戦法は、えてしてお目当て以外の虫たちを大量に引きつけてしまうおそれがありはしませんか?」

「そんなものは手で取りわければよかろう」

「トラウマものですな」

「そんなことを言ってたらフィールドワークなんてできんぞ」

「まあ、そうなんでしょうけど……わかりました、やってみます。ありがとうございます、おじいさん」

 わたしは配給札の入った封筒をつかみ取り、事務所を後にします。





 広場に駐留しているキャラバンに寄り、嗜し好こう品ひんに交換できる配給札を一枚渡し、選択できる品目から瓶びん詰づめのソレが残っているのを見つけて受け取り、自宅に戻ろうという時にはすでに六時直前という頃ころ合あいでした。

「ただいま戻りました!」

「ああ、おかえり」

 時計を見ると、残念ながら六時を一分ほど過ぎていたようです。急いで帰ってきたつもりですが、今度こそ門限破り。諦あきらめるほかなさそうです。

「では」

 祖父に詫わびるように頭こうべを垂れます。叩たたきやすいように。

「……何をしとる」

「おや、お咎とがめなしですか?」

「何のお咎めだね?」

 あれれおやや?

 違和感が膨ふくれあがります。

 でも藪やぶをつついて蛇を出す愚は避さけ、そそくさと自室に引き下がることにしました。幸運の原因を突きとめようとして幸を逃すことはないのです。

 翌朝、わたしは祖父に一言断り、自宅から直接現場に向かいました。

 ゴミ山は相変わらずシンと静まりかえっており、何者かが潜ひそんでいる気配はありません。

 場所に目星をつけて、持参してきたシャベルで穴を掘ります。十センチほどの穴ですから作業は一いつ瞬しゆんで終わりました。そこに空き缶を埋うめます。虫対策として切り口が地面より少し高い位置になるように固定。

 作業はものの数分で終了。

 この仕掛けに蜂はち蜜みつを注いで一晩待てば、翌朝様子を見に来たわたしは見事インセクト系のショック映像に出くわすことが可能なのです。

 なので考えました。

 液体はまずかろう、と。

 固形であれば摂取できる種もいくぶん減じるのではないかと、まあ素人しろうと考えではありますが、思ったのです。

 そうして調達してきたのがこの瓶びん詰づめの──金こん平ぺい糖とう。

 底が隠れる程度まで注いで、あとは待つばかり。





「あとは、場の楽しい度だな」

「楽しい度」

 胡う乱ろんな言葉その二。

 事務所に帰還し、再度の助言を請うことで得られた言葉がこれでした。

「楽しい度が低いと、?彼ら?の活動性は低下していくのだ。特に個体数が少ないうちは外部的な要因がないとなかなか定着はしないな」

「楽しい……それはお祭りですとか?」

「だけじゃないぞ。遊ゆう戯ぎ、菓子、踊り……楽しいと感じることはいくらでもある」

「また漠然としたアドバイスですね」

「例の仕掛けは試してみたのか? どうだった? カブトは採とれたか?」

「六時間置いて見に行きましたけど、アリがベルトコンベアを作っていただけでした。カブトはいませんでしたよ」

 祖父はちょっぴり残念そうでした。

「それは楽しさが足らんのだ。もっと場を彩いろどらなければいかん」

「どうすれば楽しい度は上がるんでしょう?」

「いろいろあると思うが。たとえば、子供用のランチプレートでライスに立てる旗あるだろう、ミニチュアの旗」

「あまり印象にないんですが」

 恐らく祖父は外食産業に見られた普遍的なメニューの約束事を示しているのでしょうが、わたしの世代にはいまいち認識にないものだったりします。

「たとえのたとえになるが……あれだ。子供が喜ぶように、野菜を星形にカットするような」

「ああ、そういった手て管くだですか。何度か学がく舎しや生活でくらいましたけど」

「くらった? 変な言い方だな」

「負けませんでしたから」

 と、寮での戦いのような食事の日々を回かい顧こします。

 なんとしても子供らに人にん参じんを食べさせねばならないという非現実的な妄もう執しゆうに取りつかれた寮りよう母ぼ。対して、胸が吐き気で満ちるような甘みを断じて嚥えん下かすまいと決意している我が肉体。

 しかも悪いことに、人参を残していたのはわたしだけではなかったのです。

 わたしと同期の生徒らが、揃そろってあのせり科の越年草を嫌けん悪おしていたのは単なる偶然でしたが、皆がアレを公然と残しはじめたのは意図的な行動の一致でした。

 その闘とう争そう史しの進歩と変移は、現実のそれとひどく似ています。

 最初はごく原始的なやりとりであったのです。相互の無防備さは、閉へい鎖さ環境で天敵もなく進化してきた(今は絶滅した)大型哺ほ乳にゆう動物にたとえられます。たとえばそれは丸焼きですとか、サラダスティックですとか、輪切りにしてバターで焼くか茹ゆでるかしたものですとか……そういう何ら出自を隠さない、ありのままの姿が、食卓にはしばしば見られたものです。

 やがて寮母は気付きました。いろいろなことにです。

 まず、出せども出せども手つかずで戻ってくる人参の存在に。気付かないはずもないのですが。寮母はもちろん文句をつけました。しかしがんとして拒絶を続けるわたしたちと彼女との間に、やがて効果を期待しての言葉はなくなっていきました。聡明なことに説得の無意味さにも、彼女は気付いたのです。

 威い嚇かくの言葉がなくなると、あとは技術の進歩があるばかりでした。

 星形にくりぬくという調理術などは、その初歩の初歩たるものと言えます。

 不毛な争いはやがて野菜ジュースに少量混入するという、極めて高度な水準にまで達したのですが、それ以上に顕著になったのが水面下での諜ちよう報ほう戦せんでした。曰いわく「今日は仕入れの者がアレのカゴをぶらさげてきた」だの「調理場の片隅に箱に詰まったアレが発見された」だのといった言葉が飛び交うようになったのです。

 調理場にアレが置かれているということは、その日の料理は警戒すべきものということを意味します。

 寮りよう母ぼもこの愚行にはすぐに気付いたのか、口くち八はつ丁ちようを効かせて子供たちを牽けん制せいするのですが、ついうっかり「あんたたち喜びなよ今日は人にん参じんはナシだよ」などと言おうものなら、たちまち年少組の実行部隊が厨ちゆう房ぼうに忍びこんでないはずの人参をすべて盗みだすといった身も蓋ふたもない政治色を呈しはじめたのです。

 ……というような話をしていたのですが、途中で祖父は疲ひ弊へいした顔になって手を振りました。話は中断されます。

「……人見知りをするくせに図太い性格になるわけだな」

 成長したと言って欲しいところです。

「話を戻すと、おもちゃの旗のひとつでも立てれば、楽しい度が上がるという理解で良いんでしょうか?」

「上がらないはずがない」

「なるほど。……試してみます」

 旗。そんなものは簡単に用意できます。

 夕食後、適当な棒と布きれで作りました。

 旗の絵柄……つまり国の選択には悩みました。

 国旗と申しましても、手描きできるものとできないものがあります。

 祖父から事典を借り、国旗のデザインを調べたところ、インドネシアやリビアは簡単そうでした。リビア国旗などは手描き以前に単色ですし。


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